イエズス会はどんな人物を求めているか

イエズス会に入会し、これから修練に入ろうとしている人に対して、イエズス会が期待する資質について、少し考えてみたいと思います。

資質と可能性
わたしたちは、自分の人生の進路について考えている人に会うとき、その人のどんな資質に気を配るべきなのでしょうか。
「わたしたちの生き方(Our way of proceeding・イエズス会の行動様式)」というのは、わたしたちに固有な祈り方、生活と奉仕のあり方のことです。入会しようと思う人には、この「生き方」を習い覚えて行くのに助けとなる資質が必要っです。
資質は跳び抜けていなくても構いませんが、一人ひとりの人生の段階や状況にあってしかるべき程度にはその資質が発達していること、もし十分でないなら、少なくとも将来そうした資質をもつ可能性があることが明らかであることが必要です。

教会生活について
志願者には、安定した祈りの習慣と自分の祈り方がなければなりません。沈黙と孤独が何であるかを理解し、自分を振り返ることを知っており、その振り返りを人と分かち合える能力も必要です。
主イエスとの内的な関係が成長しつつあること、そうした神との触れ合いについての自分の必要を自覚していること。信仰共同体の活動に積極的に参加しており、ミサを中心とする教会の秘跡を自分の生活に組み入れていること。そして何より、イエズス会員として生きるように呼びかけられている確信があり、その呼びかけに応えて修練院に入る準備が整っていることです。

生活と誓願
修道生活では、他人と生活を共にすることになるのですから、自分のアイデンティティが年齢相応に確立していて、他の人を信頼する能力があることは必須です。
自分の強みや才能を自覚していると同じくらいに、自分の限界と弱さも分かっていること。共同体という場の中で、寛大さとは何か、相手を中心に考えることとは何かという理解があり、思いやりや人に共感できる温かい心があることなども、長く共同体生活をして行くためにはやはり必要となります。ユーモアのセンスや自分についても笑えるような人柄もあった方がよいでしょう。

清貧について
与えられた経済状況の中でやりくりできることを含め、共同の物資を責任を持って使用、管理ができること。質素な生活を受け入れることができ、それを望んでいること。個人というよりは共同体的なこの生活を喜んで受け入れられることが必要です。

貞潔について
自分の性を自覚し、神の賜物として受け入れており、誰とでも尊敬をもって、かつ男性とも女性とも友情をもって付き合えること。貞潔の生活においても、人を愛することが何であるかを知っていなければなりません。

従順について
自分の決断とその結果とに責任を取ることができ、自分の自然な傾向を乗り越えて、それ以上の善のために自分を差し出して、権威が与えられている人々と協力できることが必要です。心の柔軟さはそこでの決定的な資質です。

そしてこの誓願を、最終的には自分から、全くの自由に選び取れるのでなければなりません。


わたしたちの奉仕

イエズス会員は、キリストの使命に自らしもべとして仕える者です。
ですから、志願者には、会員に例外なく課されている勉学を、語学も含めて、引き受ける能力がなければなりません。自分自身が育ってきた文化以外の文化に開かれていて、両方の文化を中立的に眺められること。男性とも女性とも共に働くものとして協力できること。誤解のない意思疎通と意思決定ができること。他人を信頼し、もめ事のなかにも留まれること。目標を決め、積極的な関わりを保ち、プロジェクトを成し遂げられること。他人、とくに貧しい人に奉仕したいとの熱意が必要です。司祭を志す人なら、秘跡による奉仕と、自分よりも他人に仕えたい望みを感じていなければなりません。

自由な望み
しかし、ここに並べた資質のリストはあまりに重いものであることも事実です。志願する人はその時点で資質のすべてを揃えている必要はありません。そこへと成長して行ける可能性を持っていて欲しいということです。
イエズス会員のすべてがあって欲しいという程度にまで、これらすべての資質を兼ね備えているのでもありません。にもかかわらず、わたしたちはいつもそれを追い求めています。
志願者についても同じで、結局のところ、わたしたちが来て欲しいと願うのは、わたしたちの祈り、生活、奉仕に成長しようと心から自由に望んでいる人なのです。

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