御手に呼ばれ、御手の中で(長町裕司)

 1989年の2月、わたしが四ツ谷の聖イグナチオ教会(当時は、旧来の教会堂)で司祭叙階の恵みを授かった式の中で、朗読させていただいた福音書の箇所は、何ら躊躇することなく次の言葉であった―

疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは、柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは、安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

(マタイ11章28―30節)

 実は、広島市の長束に在ったイエズス会修練院の小高い〈聖心の丘〉には、イエスの石像が立っていて、「われのもとに来たれ」という語句が刻まれている。その大きく手を広げたイエスの姿は、修練院の門をくぐって修道生活の見習い小坊主として生活を始める若者たちを深く受けとめつつ、しかしながら遥か瀬戸内海を見下ろし、かつて原爆の投下されたこの地の人民の暮らしを眼におさめて、更にこの世紀の世界各地の様々な境遇のうちに生きる人々(cf.ロヨラのイグナチオ『霊操』106番)へと聖心を鼓動しておられる。
叙階を授かった早春から20年を経て全世界のカトリック教会とともに〈司祭年〉を迎えている今日、けれどもわたしは、この自分が教会の役務(ミサやその他の秘跡の執行)においてどのように忠実に務めを果たせてきたのか、また信者・未信者を問わず様々に人生を歩む人々と――神の救いの経綸(オイコノミア)の内に――どのように関わりをもててきたのか、明朗な意識に汲み上げることも内省的に消化することもほとんどできない。  確かに落ち着いてしみじみと思い起こしてみれば、幾つもの洗礼式や結婚式での実りの形で現れた神の恵み、そして或る場での出会いに留まらず長期に渡っての交わりが開かれた数多くの人々との心の共振が、記憶の中から沸々と甦ってくる。日常の働きの場が上智大学のキャンパスなので、その中には関わりが開かれた多くの学生たち、特にゼミナールで共にテキストを読んで或る根本的なテーマについて対話を繰り返し、また卒業論文の指導を通して本人の内面から生まれ出ようとする「思考の初子」を取り上げる宿業に全力を傾注した哲学科の学生たちの忘れられない面持ちがやはり強烈に浮かび上がってくるようだ。大学院生ともなると、研究会で激しく議論を戦わせ、時にはその後に飲み屋でも相互に理解が折り合わず、数日は物別れとなったまま頑とした態度で指導を徹底させねばならないこともあった。聖書研究会にも参加した面々とは、洗礼の恵みまで授かった人も神の聖心との触れ合いを独自に生きてゆく人も、卒業してからもその人生の軌跡において再び新たに出会う喜びも授かっている。
―但し、このように記憶を辿ってみたとしても、このわたしがイエス・キリストの司祭職を生き得たという自負は全くなく、むしろ至らなさこそが反省によって深まる中で神の恵みの照らしを受けるだけである。然るに同時に、この冒頭部の告白に記したキリストの招きがわたしの心身を通して出会う人々の一人一人に呼びかけているという自覚は、いつも再び「消えることなき炎」(イエズス会第35総会 第二教令1)であり、「神の国の軛」を担う使命を刻印し直すのである。
度々わたしの罪の告白(告解)を聴いて下さっているスペイン・バスク人のお年の神父様は、或る時次のような励ましの言葉を付け加えて下さった。――「あなたが毎日教師として教え働いていても、いつ如何なる時も先ず第一にあなたは、キリストから呼ばれた司祭として人々に関わっています」。この神父様を初め、幾人ものわたしたちの先輩から身近に経験したことこそは、〈司祭の心〉についてここに綴るのが相応しくわたしに出来ることなのだが、「その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物をおさめきれない程」(ヨハネ21章25節)なので、日本にもおられたイエズス会前々総長の故ペドロ・アルペ神父様が覚書きの形で残された『神の祭壇に上ろう(Introibo ad Altare Dei)』の中からの一節を引用しておきたい。

 たしかにわたしは、一方では聖イグナチオのように、自分自身に「傷とうみ」(『霊操』58番)…「あらゆる妨げ」を感じるが、他方では「神から大祭司と呼ばれ」(ヘブライ人への手紙5章10節)「聖であり、罪なく、汚れなく、罪人から離され、もろもろの天よりも高くされている大祭司」(同7章26節)「人間の手で造られた聖所にではなく、天そのものに入り、今やわたしたちのために神の御前に現れてくださった」(同9章24節)キリストと一体である。

(ペドロ・アルペ著/塩谷惇子訳『キリストのこころ』74頁)

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長町裕司神父は、1979年入会、1989年司祭叙階。現在、上智大学文学部哲学科教授。

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