なぜ私は司祭になったのか(佐久間勤)

 なぜ司祭になったのか、なろうと思ったのか。この質問に答えようとすれば、とくに何か劇的な理由があったわけではない、と言うしかない。高校を卒業するころから学生時代をつうじて進路を考えていた間に、ごく自然に、司祭職という可能性が自分の目の前に現れたのでそれを選んだのだった。

 もっとも、実際にはそう簡単なことでもなかった。決心するまでに四年ほどかかっている。他にもあこがれる仕事はあったし、幼い頃から身近に見てきた司祭たちに比べれば、自分は性格などの点で司祭には向いていないとも思えた。長く迷ううちに気づいたのは、司祭職を望む気持ちをいくら否定しようとしても消えることがなく、なにか人間的な思いを超えた呼びかけだ、ということだった。私にとってそれはロヨラのイグナチオが『霊操』で教えている「選定」の、最初の経験であった(イエズス会に入る前から『霊操』のようなものをすることができたのは、六甲学院の信徒教育のおかげだ)。

 その呼びかけとは、必要であるのに人々があまりそれに気づいていないような、重要だが隠れた働きを一生の仕事として選ぶというものだった。宣教地である日本では、司祭とはまさにそのような働きをする存在と思えた。

 洗礼を受けた教会も通った中学高校もイエズス会の神父たちが働いていた場所であったので、イエズス会という修道会の司祭となることを志願したのも自然の流れであった。神の栄光と人々への奉仕のためにはどこにでも赴く、というイエズス会に入り、その会から派遣されて、今、旧約聖書を教える教師になっている。多くの人々の支えと理解が私の歩みを守ってくださった。そのおかげで、あたかも川が岸に導かれて流れるように、私はここに来ている。

 人によっては神父は教会で儀式を行う僧侶のような存在と思えるのか、私が教会を受け持っていないと言うと怪訝な顔をされることがある。しかし私の司祭としての働きの主たる部分は聖書を教えることにある。そして聖書を説明する仕事をとおして、司祭となった喜びを感じることもできる。司祭は人々の心に寄り添い、人の心の最も深いところで神と出会うのを、その人のそばで見とどける。ミサの説教や黙想会の聖書講話が何らかの役に立ち、人がキリストをよりよく知るようになったと知らされるような機会には、司祭となった喜びを味わうことができる。そして希れではあるが、黙想者と神の言葉との間に生じる非常に劇的な出会いを目の当たりにすることもある。

 「この言葉は、まさしく私のために書かれた言葉です!」。何日かにわたる黙想の間に定期的に黙想者と面接して、祈りの状態がどうかを聞いてアドバイスするのが常だが、その中での事。面接室に入ってきた黙想者は、話す言葉を見つけかねていたようだった。そしてしばらくの沈黙の後、絞り出すように口にしたのがこの発言だった。聖書の言葉がその人の心を直撃し、自分自身の真の姿に気づかせてくれた、とのことであった。その人のものの見方や物腰がこのできごとを境に変化したので、確かに、神の言葉との真の出会いであった。人は御言葉と出会うことができる。出会うことによって変容することができる。聖書を学び説明する仕事に派遣された幸せを深く感じる経験であった。

 振り返って思うのは、洗礼者ヨハネという私の洗礼名は、キリスト者として生きる恵の方向性だけでなく、司祭としての働きの指針になっている、ということだ。主の到来を準備する使命を受けた者、「彼は栄え、私は姿を消す」という言葉のとおりに生きた者。理想は遥かに遠く、現実は貧しい状態でしかないが、信仰を生きることの喜びは何ものにも代え難い。この道を与えてくれた神と家族、そして多くの人々に感謝したい。

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佐久間勤神父は、1975年入会、1984年司祭叙階。現在、上智大学神学部教授。

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