私がカトリック司祭の道に入った次第(山岡三治)

進路に迷う  学生時代、私は卒業後の進路についてずいぶんと迷った。そのあげく、別の大学に学士編入することにした。だが、その後もどう生きていったらいいか分からず、とはいえそのままでは生きていけないので、二つ目の大学の卒業後はとりあえず盲人福祉施設で働くことにした。もう就職活動には遅すぎたので、学生時代に行っていた点訳奉仕者の方面でありついたのだ。そんな私に家族もあきれはててサポートが望めなかったから、3畳間のみの安いアパートで下宿を始めた。それから30数年たった今の自分はカトリック司祭であり、上智大学の教員であり、しかも大学の就職指導委員長を5年も担当して、進路の決まらない学生を何とかしたいと悩む役割をしていたのだから不思議だ。  こんな私でも仕事を見つける努力を少しだけやったことがある。やりがいがあるなと思ったのは厚生省教護院(児童自立支援施設)の指導員だった。ふとしたきっかけで人生の早い段階で道を踏み外した少年たちが立派に復帰できるようなサポート役になりたかった。心理テストを含めて競争率50倍の試験に合格したのだが、いざ就職の段になると、やはり勉強したいという念が強まり、学費の安い国立の哲学科に編入学した。人生に迷う  進路にも人生にも迷いに迷った私は哲学に関心を持った。当時哲学というものは、迷う人間に解決を与える学問だと思っていたから、当時の青年の必読書と言われていた人生論や哲学や小説を読み始めた。亀井勝一郎『愛の無常について』、倉田百三『愛と認識との出発』などからは人生が短いことを痛感させられて焦った。小説はドストエフスキー全集、トルストイ全集(こちらは読み切れなかった)を読み、人間の心の複雑さ、深さに驚き、倉田百三『出家とその弟子』(親鸞とその弟子についての戯曲)を読んでからは高僧の講話に顔を出すようになった。はじめは禅宗には偏見を持っていたが、禅会に参加してから考えを変え2年ほどお寺に通った。人生の問題は身体で解決しなくてはならないと思ったからである。  当時は大学紛争時代であったから授業が何ヶ月もない期間があったから、学生たちはそれぞれがいちばんやりたいことをやっていたのだから、ぜいたくな時代だったともいえる。私はお寺と教会に通った。お寺では弟子入りしたし、教会では洗礼を受けた。いつまでもどっちつかずの私であった。

修道院に入る  そのうちにヨーロッパの禅ブームの草分けだった愛宮ラサール神父、禅の師家となって禅会の指導を熱心に行っていた門脇佳吉神父、その他きら星のように優れた神父たち――多くは上智大学の教員や聖イグナチオ教会の司祭――に会う機会を得た。こういう生き方もあるんだと思い、能力のない自分も努力すれば彼らの仲間になれるかもしれないと思ってその生き方に決めて志願した。あれから30数年。迷いに迷った時期がウソか夢のようにさえ感じる。  思い起こせば、イエズス会への入会が許された年に私はすでに28歳。隠遁者になるわけでもないのに、家族はまるで私が急死してしまったかのように大騒ぎだった。修道院に入ることは、仏教で言えば出家であるから無理もない。とくにカトリックは生涯独身で共同生活を営むし、私有財産の放棄も義務づけられている。修道院に入るとき、両親と兄、弟と別れるのは辛いものだった。自室を片づけ、バイトでかき集めたたくさんの本は友人にゆずった。そして小さなミカン箱ひとつで修道院に入った。箱の中は聖書一冊と少量の衣類のみであった。

司祭四半世紀とイエス・キリスト  修道院に入ってから8年後に司祭になった。それからたくさんの種類の人と出会い、さまざまな経験をすることができた。願っていたとおり、人と環境が自分を作ってくれたし、自分のアイデンティティーの一部になっている。それは種々のしがらみから自由にされていき、より自分らしくなってくるプロセスだったと思う。

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山岡三治神父は、1976年入会、1984年司祭叙階。現在、上智大学神学部教授。

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