Pope Francis celebrates Mass at Santa Marta

教皇フランシスコ、「他者のために何を残せるか」

Pope Francis celebrates Mass at Santa Marta

教皇さまのある日のミサの説教を紹介します。

02-06, L’Osservatore Romano

教会のなかで、堕落と裏切りを斥ける「罪人」として、物質的な富でなく聖性への証しの遺産を残すという希望をもって、人生をいきるために――教皇フランシスコは、これら「偉大な恵み」について、2月6日(木)、聖マルタの家のミサの中で思いをめぐらした。

教皇は、ミサの第一朗読(王下2:1-4,10-12 )を参照しながら死の神秘に焦点を当てる。「私たちはダビデの死の物語を聞きます。ダビデの人生の始まりを思い起こすと、彼は選ばれて油注がれたとき、まだ『少年』でした。わずか数年で王位についたときもまだ22、3歳だったのです」。

「ダビデでの生涯は自分の民への奉仕にあてられた旅路でした。そして始まった途端に終わりを迎えたのです。私たちの人生も出発し、歩み、前進し、終わりを迎えるのです」。ダビデの死を「心から」考えながら、教皇は3つのふり返りのポイントを提示する。「第一に、ダビデは教会のふところ、自分の民のふところで死にました。死は民の外ではなく内に、ダビデを見出しました。彼は神の民に属しながら生きたのです。ダビデが罪をおかしたのは事実です。自分を罪人と呼んでいるからです。しかし、ダビデは民を離れませんでした。罪人でしたが、裏切り者ではありませんした。これは恵みです。最後まで神の民にとどまる恵み、教会のふところで、神の民のただなかで死ぬ恵みなのです」。

この観点を強調して教皇は、誰もが「家で、慣れ親しんだ教会で死を迎える恵みを求める」よう招かれていると述べる。「これはお金で買えない恵みです。神からの贈りものだからです。私たちは願わなければなりません、主よ、家で、教会で死を迎えることができますように、と。みな『罪人』であっても、決して裏切りや堕落に身を染めてはならないのです」。Pope Francis 12-14-13

教皇フランシスコはさらに、ダビデの死に関する第二の考察をおこなう。「この物語ではダビデは静かで平和で穏やかに見えます。それは、自分の息子を呼んで、『私は地上のあらゆる人がたどる道を行きたい』と言うほどでした。言い換えれば、ダビデは『今こそ私の番だ』と認めているのです。聖書には『ダビデは父祖と共に眠りについた』と書かれています。王は死を、希望をもって、平和のうちに受け入れたのです。これはもう一つの恵みです。希望をもって、またこれはほんの第一歩であって向こう岸で自分を待つ方がいるという意識をもって、死を迎える恵みです。まさに、死の後にも家があり、家族があるでしょう。これが、とりわけ人生の最後の瞬間に探し求める恵みなのです。私たちは人生が格闘であって、悪霊が戦利品を略奪するのを知っているからです」。

教皇は幼きイエスの聖テレジアの証しも思い起こす。「聖テレジアは人生の終わりに言いました、彼女の魂には葛藤があったと。将来について、死後天国で何が自分を待っているかについて考えていると、ある声が聞こえました。『ばかなことはおよしなさい。闇があなたをお待ちです。無の闇だけがあなたをお待ちでいます』。これが悪魔です。悪魔は聖テレジアが神に信頼することを望まなかったのです」。Pope Francis celebrates Mass at Santa Marta 2そのため、 「神に信頼して、希望を持って死ぬ恵みを求めることが重要です。しかし、 神を信頼することは人生のささいなことにおいても、大きな問題においても今から始めなければならなりません。私たちはいつも主により頼む必要があります。このようにして主への信頼が習慣となり、希望が湧きいでます。ですから、家で死を迎えることと、希望をもって死を迎えることは、私たちがダビデの死から学ぶことができる二つのことであります」。

教皇フランシスコが分かち合う第三のふり返りは、「遺産の問題」に関するものである。「これについて聖書は、ダビデが死んだときすべての孫とひ孫が自分たちの遺産をもらいに来た、と語ります。しばしば遺産をめぐって家族を分裂させる多くのスキャンダルが聞かれます。ですがダビデが後に残した遺産は富ではありません。聖書には『彼の王国は力を増して成長した』と言われます。ダビデは民に40年の統治の遺産を残し、民は力づけられたのです」。

教皇は「誰もが子どもをもち、木を植え本を書き、最高の遺産を残そうとする」という流行歌の一説を思い起こす。教皇はすべての人が自分に問うよう招く――「私はどんな遺産を自分の後に来る人々に残すのでしょうか。自分の命とともに遺産を残すつもりでしょうか。人々が私を父母のように欲しがるほどの善行を、私はしてきたでしょうか。たぶん私は木を植えたことも本を書いたこともありません。でも、私は人生に知恵をもたらしたでしょうか。本当の遺産とは、ダビデの遺産です。死ぬ間際に彼は息子のソロモンにいました――あなたは強くて有能な男だ。あなたの神、主の律法に従い、主の道を歩み、彼の掟を行ないなさい、と」。

むすびにあたって教皇は、三つのポイントをまとめ、聖なるダビデへの祈りとして唱える。「家で、教会のうちで死を迎える恵みを求め、希望をもって死に臨む恵みを求め、さらに、美しく人間的な遺産、私たちキリスト者の人生の証しから生まれる遺産を残す恵みを求めます。この三つの恵みをお与えください」。

教皇フランシスコの住む聖マルタの家の紹介です。
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