不偏心(indifferentia)

ec9ee16a49926806c8418cb1e93b708e_l 人生におけるよい選択には、ある程度「不偏心」(かたよりのない心)が必要です。不偏心をもつことができるのは、心の自由をもつひとだけです。すなわち、乱れた心の傾きやかたよりや偏見にとらわれず、既成概念にとらわれない新たなチャレンジに開かれたひとです。その時その場に求められることと、神から与えられる具体的な呼びかけに耳を傾ける自由がなければなりません。この自由をもつためには、神のみ旨を求めて自分を委ねるという生涯にわたる絶えざる実践が大切です。

人生の選択で不偏心をもつひとは、様々な選択肢を前にします。社会生活での失敗を理由に修道会への入会を志すひとは、真の意味で自由な選択をしていません。その場合、ほかの様々な選択肢に目を向け、積極的にその可能性を見極めることは賢明です。そのときにする選択こそ自由な選択です。そのような可能性に自分を任せることに伴う犠牲や苦しみは、最終的に行なう選択の価値をより深く知ることを助け、また多くの場合そこに堅く留まることを可能にするのです。

みなさんはどれくらい不偏心をもっていますか。

IMG_0024愛着から離れる恵み

不偏心、あるいは愛着からの離脱の恵みは、わたしたちがよく祈り求めるものです。それは、わたしたちが自分の希望や恐れや心配の結果を神にゆだね、何が起こっても「神の恵みのみでこと足りる」という信頼をもつ場所であります。

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